所長ブログ

2013年12月 2日 月曜日

可視化と見える化

言葉は変化するもので、環境や時代に合わせて柔軟に変えていくことができ、またそれが許されるものだと思います。

最近、特にビジネスの場において、視覚的に物事を捉えられるようにすることを表現する際に、「見える化」という言葉が使われることが多くなったように感じます。

つまりこの場合、「見える化」というのは「可視化」という言葉と同義だと思うのですが、「可視化」という言葉をあえて使っていないという印象を受けます。



言葉の構造を考えると「~化」ということばは名詞につくものだと思っていますが、「見える」は動詞です。「可視化」とは異なる意味で使いたい、区別したいというときにわざと「見える化」という言葉を用いるのならば意味があると思いますが、なぜわざわざコンパクトでスマートな言葉である「可視化」を使わないのか・・・そんなことを考えていると、数年前、若者の間に流行した「超~」という言葉を思い出しました。

とあるテレビ番組において、
「超むかつく」だとか「超うれしい」という言葉の使い方は間違っている。
「超」のあとは名詞が来るのが本来正しい使い方で、例えば「超満員」という使い方が正しい。
などと指摘している人を拝見したことがありましたが、「見える化」という言葉はそういった指摘を聞きません。

伝えたい言葉がより伝わるように言葉を自由に変化させる権利は、それが浸透するかどうかの問題は別として、どんな人にとっても平等にあると感じるのですが、世間一般に受け入れられるものと受け入れられにくいものの条件があると感じます。たとえそれが一部に浸透していたとしても。



司法書士法人I'll事務員
utsuno

投稿者 司法書士法人I'll